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2001

10月19日-1 再発

10月19日-2

10月23日

10月24日 超音波検査

10月26日

11月 1日 入院(抗がん剤)

11月10日

12月13日

12月21日


**** 2002年 ****

1月 9日

1月13日

1月16日 放射線+抗がん剤

1月30日

1月31日

2月1日 腋窩リンパ節転移

2月20日 照射終了

3月15日

3月20日-1 化療科初診

3月20日-2

4月18日

5月 8日

5月22日

6月 3日

6月19日

6月22日

8月21日

8月28日

8月30日

9月11日


…… この項おわり ……


10月19日−1

 7月27日は全摘記念日。半分は病院にいたけれど、1年は1年だもんね。あと1年なんとかいければ、恐怖の2年をやりすごしたことになる。いけそう。Tのようすをみていて、そう思う。

 しかし、10月17日。右頸部リンパ節があやしく腫れているということで、細胞診。注射器でリンパ節めがけて針を刺し、ぎゅっと吸い取られた細胞は検査に回される。

 そしてこの日、結果を告げられた。
 +。悪性だった。

 D医師は手術を勧めた。Tは、それでいい、といった。

 また手術? 瞬時にあの5か月の悪夢が脳裏をよぎる。合併症はこわい。でも、もっと心配だったのは、じつは病棟看護師さんとD医師の連携だった。

 いまいち、なのである。「すっぽん騒動」のとき、D医師の申し送りが、翌日にはどこかにいってしまっていたことが、頭に焼きついてしまった。すぎてしまったことはいいのだが、これからのことには慎重になってしまう。

 それに、最初のリンパ節郭清のときのように、突然の方向転換も避けたい。

 だから、D医師がちょっと席を外したとき、Tにそっと耳打ちした。

「そんなに簡単に決めていいの? もうすこし、ほかの方法……たとえば化学療法のことなど、なんでもいいから聞いてみたら」

 D医師がもどってきたときに、Tは「化学療法はどうですか?」と質問した。D医師は、ちょっとおどろいたようすだった。「がん細胞が限局しているようなので、手術が有効です。抗がん剤では消えないと思います」「まだ手術ができると思うから、勧めるんです」といった。

 それからD医師は、私に意見を求めたので、いった。

「前回の入院では手術は成功したんだと思っています。頭頸科は手術がうまいと思う。でも、術後管理はうまくいかなかった。そのために、よけいな手術もうけなくてはならなかった。そのことを考えると、手術です、といわれて、はいそうですか、とはいいにくい。私は彼に、手放しで手術を勧めることはできません」

 はっきり、いいすぎました。すみません(いまさら遅いけれど、反省)。

「じゃ、化学療法をやってみましょうか。手術をしても化学療法は必要でしょうから」

 でも、そこから話が入り組んで、私たちはなかなか方針を決められなくて、結局、返事を延ばしたいといった。するとD医師は「では、左の首のぐりぐりから細胞を取って、これが+だったら化学療法にしましょう。−だったらどうするかだけを決めてきてください」と、いった。


                                            

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