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2001年
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10月19日-1 再発
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10月19日−1 7月27日は全摘記念日。半分は病院にいたけれど、1年は1年だもんね。あと1年なんとかいければ、恐怖の2年をやりすごしたことになる。いけそう。Tのようすをみていて、そう思う。 しかし、10月17日。右頸部リンパ節があやしく腫れているということで、細胞診。注射器でリンパ節めがけて針を刺し、ぎゅっと吸い取られた細胞は検査に回される。 そしてこの日、結果を告げられた。 +。悪性だった。 D医師は手術を勧めた。Tは、それでいい、といった。 また手術? 瞬時にあの5か月の悪夢が脳裏をよぎる。合併症はこわい。でも、もっと心配だったのは、じつは病棟看護師さんとD医師の連携だった。 いまいち、なのである。「すっぽん騒動」のとき、D医師の申し送りが、翌日にはどこかにいってしまっていたことが、頭に焼きついてしまった。すぎてしまったことはいいのだが、これからのことには慎重になってしまう。 それに、最初のリンパ節郭清のときのように、突然の方向転換も避けたい。 だから、D医師がちょっと席を外したとき、Tにそっと耳打ちした。 「そんなに簡単に決めていいの? もうすこし、ほかの方法……たとえば化学療法のことなど、なんでもいいから聞いてみたら」 D医師がもどってきたときに、Tは「化学療法はどうですか?」と質問した。D医師は、ちょっとおどろいたようすだった。「がん細胞が限局しているようなので、手術が有効です。抗がん剤では消えないと思います」「まだ手術ができると思うから、勧めるんです」といった。 それからD医師は、私に意見を求めたので、いった。 「前回の入院では手術は成功したんだと思っています。頭頸科は手術がうまいと思う。でも、術後管理はうまくいかなかった。そのために、よけいな手術もうけなくてはならなかった。そのことを考えると、手術です、といわれて、はいそうですか、とはいいにくい。私は彼に、手放しで手術を勧めることはできません」 はっきり、いいすぎました。すみません(いまさら遅いけれど、反省)。 「じゃ、化学療法をやってみましょうか。手術をしても化学療法は必要でしょうから」 でも、そこから話が入り組んで、私たちはなかなか方針を決められなくて、結局、返事を延ばしたいといった。するとD医師は「では、左の首のぐりぐりから細胞を取って、これが+だったら化学療法にしましょう。−だったらどうするかだけを決めてきてください」と、いった。 |
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