|
1.はじめに
医学に疎い患者がどうやって病気について調べるか。今回の経験をまとめてみました。
なおここでは、インフォームド・コンセントと病名告知は別物と考えて、病名告知にはふれていません。
2.インフォームド・コンセントとは?
実際に経験するとわかるのですが、患者側にとってのインフォームド・コンセントは、医者(治療現場)に対する理解につながる、いわばコミュニケーション概念です。ですから医学知識がなくても主治医を信頼できるなら、インフォームド・コンセントは必要なく、患者は医者のいうことを聞いて治療をすすめることができます。
最近、医者が患者に対して「おれにだまってついてこい」というのを「インフォームド・パターナリズム」といって否定的に扱う風潮がありますが、これはこれで患者にとって都合のいいこともあります。とくによい結果が得られなかった場合、「医者のいうとおりにしたのに」と、医者に責任をかぶせやすい。裁判で有利ということではなく、「精神的に逃げ道を残しておける」ということです。
3.なぜ患者側が調べるのか
インフォームド・コンセントは「医者が患者の理解・納得を得られるまで説明すべきだ」というのが多くの意見ですが、「理解・納得したい」という患者は、病気についてある程度は自分で調べるといいと思いました。落ち込むような情報を受け入れる覚悟のもと、つっこんで調べれば、医者がなぜこういう治療をすすめるのか、ということが、なんとなくわかるようになりました。
医者に病気や治療法を理解させてもらう、納得させてもらうことを期待してはいけないと思います。相手に「理解・納得させる」というのは、高度な日本語テクニックが必要です。
しかし、医者は医学技術は学んでも、日本語技術は学んでいません。私だって、他人に自分の考えをうまく伝えることはできません。医者に「理解・納得」させてもらうことを期待するのは、ないものねだり。だから医者には「適宜な医療技術」だけを要求する、という気持ちでいました。「適宜な医療技術」だけでも十分厳しい要求じゃないかと思うのです。
4.「調べる」ことには、リスクも伴う
「知る権利」には「知りたくないことも知ってしまう」というリスクがあります。調べることで希望がもてないような事柄を知ってしまうかもしれません。精神的にまいってしまうかもしれません。また、家族が調べる場合、どこまで本人に知らせるかという、新たな悩みを抱えてしまうことだってありえます。リスクが伴うことなので、ここでは「病気について調べる」ことをおすすめするわけではありません。
5.本は手元に
闘病記やがんについての入門書では、文庫や新書で出ているものもありますが、一般向けの健康本でも2,000〜3,000円します。医学専門書なら1冊万単位も少なくありません。しかし、何度も読むような本は購入して手元に置きました。立ち読みでは、その場では頭に入ったようでも、あとで細かいところの確認ができません。書店に何度も確認しにいく時間も惜しい。使えそうな本は手元に置いて何度も読みました。
医学雑誌のようにバックナンバーが手に入らない、1冊の中で必要なのは数ページ、という場合は、図書館に行って(著作権の範囲内で)コピーをとって手元におきました。医学に限らず専門書の日本語は、一般書から見れば「日本語じゃない」ってくらい「変」ですが、何度も読めば「慣れ」てきます。
6.新しい本を読む
がんの治療は年々進歩しているので、なるべく新しい本を参考にしました。最近の書店では、売り場面積の関係で、古い本は店頭に並ばなくなったので(出版件数の増加で新しい本でさえ並ばないことも(^^;))あまり心配はないのですが(それでも初版年はチェックしたほうがベスト)、図書館では注意が必要です。
なんでもいいから頭頸部腫瘍を取り扱っている医学雑誌をみて、そこに投稿されている原稿の参考文献を見ます。そうすると、だいたい医師たちが過去何年の資料を参考にしているかがわかるので、その範囲年で出版されている本を読むようにしました。頭頸部腫瘍では、たいてい「過去5年」でした。
これは、あくまで目安です。過去10年内に出版された本の中でも、とくに「がんの一般知識」を仕入れるためには十分役に立つ本もありました。
ちなみに新しい本といっても、大型本の場合、原稿依頼から本になるまで1年以上かかってしまうことがあります。とくに著者が大勢いるような本は、まず発行が遅れます(締め切りを守らないヤツが必ず一人や二人いる)。今年発売された本でも、原稿が書かれたのは1年以上前ということもありえることです。まあ、あんまり神経質になる必要はありませんが。
7.病期確認で現状把握
病期(ステージ)は、がんの種類によっても違うのですが、たいてい4〜5段階に分かれています。またがんによってはT期をaとbにわけているのもあります。
自分が何のがんで、どの病期にいるのかというのは、今後の物調べに不可欠なので、しっかり主治医に確認しました。また、がんの種類によっては発症部位をわけていることもあるので(たとえば喉頭がんでは声門上・声門・声門下)、それもあわせて確認しました。分類は治療がすすんでも変わらないものなので、最初に一度聞けばすみます。
つっこんで調べたかったので、主治医にTNMを聞きました。これはがんの進行度をあらわす分類法の一つで、Tは原発腫瘍の広がりを、Nは所属リンパ節への進展具合を、Mは遠隔転移の有無をあらわし、T1N2M0というように表記されます。これを聞いて各種がんの「取扱い規約」を読むと、Tのがんのようすが詳しくわかりました。
また、診断の根拠がわかるので、けっこうおもしろい。ふだんアバウト人間にしかみえない医者が、こんなに細かいことをやっているのか、と感心もします。各種「癌取扱い規約」は金原出版からでています。
8.まずがんの性質を調べる
どの部位のがんでも、まずは一般書(家庭の医学のようなもの)で、がんの性質や一般的な治療法を頭に入れました。とくにがんの性質を理解すると、治療法を理解しやすくなりました。なぜその治療法が選択されるのかではなく、あくまで、そのがん治療の「ねらい」、なんのための化学療法なのか、なんのための手術なのかなどがわかるということです。「なぜ」この治療法なのか、ということを理解するためではありません。
この手の本は、何冊も読んでも時間の無駄だと思います。一般向けですからわかりやすい日本語で書かれていますし、同テーマで著者が違うものを2、3冊も読めば十分です。なぜ著者の違う本を読むかというと、一つのことを違う視点から見れば、より理解しやすくなるからです。同じ事が書いてあったときには、書かれている内容に対して信頼性が高まりました。
がんについては多くの本がありますから、書店に行き、数冊手にとって数ページ読み比べ「読みやすい」と思ったものを買いました。意外と使えるのが「百科事典」です。がんのみならず、体の基本的なことが網羅されています。おすすめは、小林 博「がんの治療」 (岩波新書292)。
9.情報源は要チェック
最近は、がんについての情報は、さまざまな媒体を通して簡単に手にはいるようになりました。とくにインターネットで検索すると、山のように引っかかります。しかし、これらの情報の発信元には、十分注意を払う必要があります。調べるということは、情報の質を見極める能力を問われるということです。見極めが甘く、間違った情報をつかんでしまうと、それによってその後の治療になんらかの影響があるというようなことがおこるかもしれません。
より客観的に書かれているものを参考にしたいと、考えています。
がんの基礎知識や、一般的に行われている治療法を調べるのなら、がん専門病院、大学(病院)など、施設の統一見解としてだされているものが信頼性が高いと思われます。書籍でも、複数の医師が原稿を書いている編著ものが安心できます。編著者はいますが、個人が一冊まるまる執筆した本よりも客観性があります。施設のHPといっても、株式会社など利益がらみが予想されるところ(たとえば製薬会社など)は注意が必要だと思います。(信じるなといっているわけではありません)
個人的には、国立がんセンターのHPが充実しているので、たいていのことはここで足りるのではないかと思っています。
もし自分のかかっている病院がHPを開設しているのなら、そこも一度はチェックをいれるといいと思います(病院のこともわかるしね)。
10.人の話は「話半分」に
いちばん危ないのは「個人発信」のものです。個人発信のものは全部があやしいというのではなく「あやしいものが混ざっている比率が高い」ということ。危険度が高いということです。とくに患者発信モノ(闘病記)は注意。患者は自分の病気に対して「セミプロ」になっていますし、医者よりもわかりやすい言葉で語るので頼りにしがちです。
しかし患者は、いかんせん、知っている事例が「自分」だけですから、視野が狭い。あくまで「その人の場合」の話でしかないわけで、その人の経験がTにあてはまるとは限りません。患者の話は、「精神面補強剤」または「参考」として聞くにとどめ、がんに対する知識の仕入れ場所にはしない、と決めていました。このHPも、その程度で読んでもらいたい、という希望がこもっています。
11.身近な人の話は、気持ちだけいただく
私は期待したとおりの結果が得られなかったときの落ち込みが激しい性格なので、「過度な期待はしない」というのを信条にしています。友人からは「がんもどきかもしれないよ。手術はしない(受けさせない)ほうがいいよ」とか「ぜったい治る」などという言葉をいただきましたが、「なぐさめたい」という友人たちの気持ちだけありがたくいただいて、その言葉に「すがらない」ないようにしていました。彼らの言葉はTの現状を知らずに、根拠もなく、私の気持ちだけを考えてくれた言葉だからです。
これらの言葉を信じてそっちを調べはじめ、もし現在の治療方針とちがった見解にぶちあたったとき、はたして今行われている治療をうけいれられるか、というおそれがありました。これは、簡単に医療不信につながってしまいそうです。
治療開始当時、「患者よ、がんと闘うな」という本が話題を集めていましたが、読むと医療不信になってしまうのではないかと思って読めませんでした。ま、いまはこれまでの治療に後悔はしていないので、読んでも大丈夫かなって思ってます。文庫になって安く手に入れられるようになったことだし。
患者サイドはいつでも「自分は正しい(妥当な)治療を受けている」と思いたい。そのためにも治療を理解することが必要で、理解するために調べるのは悪い事じゃないと思います。
12.医者の言葉がわかりにくい理由
インフォームド・コンセントで大事だとされる「納得できる説明」には、2つの日本語技術が必要です。「相手に説明する」技術と「相手を納得させる」技術。先にも書きましたように、「人を納得させる」のは高度な日本語技術が必要で、これはだれがやっても難しい技術です。納得させる側とさせられる側の関係が大きく影響すると思われるので、技術論も成り立ちにくそうです。
「説明する」というのは、「納得させる」よりもすこし簡単です。このとき医者の言葉がわかりにくい、とかむずかしい、ということがしばしば問題になりますが、わかりにくいのは医者のせいばかりでもありません。もともと医学用語が会話向きではないのです。これは日本の医学史と日本語の特性のためだと考えられます。
現在日本で行われている医療の中心は西洋医学です。江戸時代に蘭学が入るようになったころから西洋医学が知られるようになりましたが、それまでの日本では、医学の主流は漢方でした。明治になって新政府がドイツ医学を採用してから西洋医学が主流になります。このときに外国語から日本語に翻訳された医学用語がそのまま現代に残っているのです。しかも、訳語には漢語(ただし和製漢語)が使われました(これは医学だけでなく、明治がそういう時代でした)。
漢語による訳語は漢字の持つ意味に頼ってつくられたので、「音」に対して配慮されませんでした。文字を見れば意味は分かりやすいですが、耳で聞いただけではわかりにくい。同音異義語が多く発生したのも明治以降のことです。
また、漢字の音には漢音と呉音がありますが、医学用語では呉音が多く残りました。現在の日本語では漢音で読むことが多いので、同じ言葉でも、医学用語と一般用語では読み方がちがう場合があるのはそのためです。
たとえば「下」の漢音はカ、呉音はゲです。 「嚥下」は一般的には「えんか」ですが、医学用語としては「えんげ」です。医者は「えんげ」をあたりまえに使っていますが、聞く側がそのことを知らなければ、「えんげ」といわれてもぴんとこないのです。
また、日本には漢音・呉音・唐音に属さない慣用音というのがあって、医学にも「医学における慣用音」、があります。「腔」(コウ/慣=クウ)、「発」(ハツ/慣=ホツ)など。
(ただ、この漢音、呉音の区別は近年あやしくなってきたかもしれません。「頭」の漢音は「トウ」、呉音は「ズ」ですから、「頭部外傷」は一般読みでは「トウブガイショウ」、医学用語では「ズブガイショウ」となるはずですが、医学事典では「と」の項目に扱われていました。)
一般人にとって困るのは、病気について調べるために医学書を読んでも、ルビがふられていないために(専門書ではとくに)音(読み方)がわからない。言葉を知ることができても、それがどういう音なのかがわからないので、現場で医者の言葉を聞いてもわからない(漢字が思い浮かばない)、という事態が起きかねないのです。言葉がわからないと、話もわからなくなってきます。
医者の言葉がむずかしいという印象は、こういう事情もあると思います。
Tから「外」の呉音は「ゲ」であるから、「頭部外傷」の例はちょっと、と指摘されました。おっと、うっかりしてました。ここでは、「外」の音はむずかしいんだよ、といっておくに留めます(「頭部」だけにしとけばよかった。ちっ)。「外科(ゲカ)」というのに「外傷」(ガイショウ)というのは、なぜか。医学において「外」の字が漢音、呉音とも使われている理由は私にはわかりません。「外傷」が比較的新しい語なのかもしれないし。「外科」は14世紀にはあったようです。「外傷」は18世紀頃にはあったようで。このあたりの事情をご存じの方、いらっしゃいましたら、どうぞご教示ください。よろしくお願いいたします。
13.「やさしい言葉」の落とし穴
医学用語はむずかしいので、素人にもわかるような言葉で説明する、というのがはたしていいことなのだろうか、とときどき考えてしまいます。
医学用語から一般用語にいいかえることはできても、いいかえられた一般用語からもとになった医学用語をたどるというのがむずかしい。言い換えられた「やさしい言葉」だと、正確な現状がつかみにくいのです。状態の説明に使われるやさしい言葉というと、形容詞・副詞が使われることが多いと思いますが、形容詞・副詞はじつにアバウトなものです。人によって、とらえ方がちがう。
化学療法後「ノドはきれいになりました」といわれても、「きれいになった」というのが、どういう意味だか見当がつきません。取扱い規約にある治療効果判定基準によれば、治療の奏効度の表現が4つあり、それぞれに定義がついています。ですから現状を知りたいと思ったら、医師が使っている専門用語をそのまま教えてもらって、それを家で調べる、というのは一つの手だと思います。
また、 専門用語をわかりやすい言葉で説明する、というのは、説明する人の個人の国語力に負うところが大きい。医者が、こう説明したと思っても、患者は医者の思っているように受け取っていないかもしれません。(だからといって医者が、どうせ説明しても患者はわからない、などとハナから思うのはどうかと思いますが)
14.医学雑誌
医学雑誌のなかでもとくに、医者向けと看護師向けの雑誌を参考にしました。看護師向けの雑誌は看護方法中心になりがちなのですが、病気についても簡単に(だけど一般医学書よりもつっこんで)わかりやすく書いてあります。看病側が患者にしてあげられることを調べるにはちょうどいいと思いました。
病気について調べるには、医者向けの雑誌が便利でした。学会誌も便利です。とくに学会プログラムは、発表内容の概略しか書いてありませんが、テーマごとに複数の発表者がいるので参考になります。一つの病気に一つの学会というわけではないので、関連学会を知っておくといいかもしれません。学会プログラムは内容が新しいのが魅力です(ただ、新しいことというのは、定説になっていないということでもあります)。他の病院との比較もできて、けっこう楽しめます。
雑誌記事検索は、今ならgoogleでいけるのではないでしょうか。Tの場合は当時まだgoogleがなかったので、地道に芋蔓式で調べましたが、それもまた楽しい。医学雑誌の検索データベースに「医学中央雑誌刊行会(医中誌)」がありますが、専門図書館にしかないのと、個人で利用するには高額すぎるという点で、使いにくいです。便利なんですけどね。
15.化学療法のときに読んだもの
Tの場合、最初の化学療法のときには、完治というよりも、手術前の手続き、という感じだったので、さほど調べていません。「今日の治療薬」(南江堂)と看護師向けの「注射薬注意事典」(医学芸術社)くらい。「今日の治療薬」は、よくある医者からもらった薬がわかる本の元本になっているような気がします。副作用がわかるので便利。
医者が説明を忘れていても、これがあればだいじょうぶ。もちろん使われる抗がん剤がどういうものかという説明もあるし、たとえば抗がん剤のところにはたいてい注意事項として「腎障害、骨髄抑制が現れるので頻回に血液検査を行う」とあるので、なるほどこのために採血してるのか、と、現状を理解する助けになりました。
ただ、ここの文章は患者に配慮しているわけではないから、短い文章でズハッと書かれています。たとえばTが化学療法科で使った抗がん剤「ネダプラチン」の備考欄には警告として「強い骨髄抑制作用、腎機能抑制作用等があり、死亡例も認められたことから〜」とあり、さすがに、おおーっと思いました。主治医は死亡例があるとはいいませんでしたから、癌研では死亡例がないのかもしれませんが、万が一ってこともありますし。
ま、むやみに恐れなければ、知っていて損はない情報だと思います。(専門書を読んでいてわからない言葉は医学事典、百科事典をひきましょう)
16.手術のときに調べたこと
Tの場合、手術が決まると医師から 手術1週間前に説明→手術後に説明 と、1度の手術に2回の説明機会(ブリーフィング)がありましたので、手術前の説明では、ほとんど調べずにただ医師の説明を聞きました。で、手術までの1週間で、医師から説明された術式を調べ、よくわからないところや調べているうちにでてきた疑問を、手術後の説明のときにまとめて聞きました。
最初に調べないのは、やはり医師の説明を第一と考えるからです。医師の説明は全部受け止めたい。けれど、私は医学知識がないから、医師の説明を消化するために調べるのです。医師と対決するためではありません。
知らないことの説明を受けるときは、自然と真剣に聞きますし。最初に医者の説明を聞いてから専門書を読むと、いきなり本を読むよりも頭に入りやすいと思います。説明のときにはわからないことがあっても、本を読むと「医師はこういうことをいっていたのか」とわかることもあります。また、本の内容がだいたいわかると、自分なりの疑問が生じてくるので、Tの場合はどうなのか、ということも含めて手術後の説明があるときに、まとめて聞くようにしました。
それでも、うっかり聞くのを忘れてしまったり、説明されたときはわかった気になっていても、あとから考えるとやっぱりわかっていない、というときがあります。そのときは、まず質問事項を箇条書きにし、時間のあるときに教えて欲しいと書き添えた手紙にして、看護師さんに取次をお願いしました。すると、医師と患者側の都合のいいときに時間をつくってもらって説明を受けることができました。説明される(する)ときは、時間にゆとりがあるときに行われるのがいいと思います。つぎに何かを控えている、とか、なにかをやっている最中に説明機会を設けても、話に集中できないことも多いからです。
さて、手術の方法を記した本を探すときは、「手術手技」という言葉で検索するといいと思います。病気ではなく、手術の基本的なこと、一般的なこと知りたいときは研修医むけの本がおすすめです。手技書には体の部位名称がたくさんでてきますので、手元に解剖学の本があると名称、位置関係などの理解の助けとなります。
でも手技書は、たいてい図解が豊富で写真ものってますから、そういうのが苦手な方は見ないほうがいいのかも。
17.姑息的治療以降に調べたこと
がんの治療は、症状によっておおまかには3段階にわけて考えることができるようです。1.治癒可能な病状→根治治療 2.治癒は無理だが延命可能な病状→姑息的治療 3.延命も厳しい病状→症状緩和治療(ターミナルケア)
Tの場合、ぎりぎりまで姑息的治療をしていたので、姑息的治療ができなくなったときが、即、延命も厳しい状況に突入という状況でした。2と3のあいだがあいていなかったのです。また、そのころになると看病人の気持ちもずいぶん重くなっていて、とても「調べものをする」余裕がありませんでした。でも今ふりかえると、このときにいちばん必要なのは、生理学の知識ではなかったかと思います。
生理学というのは、体のしくみを体系的に学ぶものです。
緩和ケアを理解する、というのは、なぜその対症療法をするのか、を理解するということだと思うのですが、対処療法を理解するためには、なぜその症状が起こっているのか、すなわち「うまく働いていない機能はなにか」を理解するのが近道だと思いました。
「病気」というのは、体の機能がうまく働いていない、ということです。「正常ではない」という現状において「正常」を知ることの方が大切な気がします。病人は「正常」な状態にすこしでも戻したい。だからこそ、その「もどすべき姿(正常)」がなんであるかを知ることが大事なのではないかと思ったのです。また「なすすべがない」という状況を理解する助けになるのではないかと思いました。
患者側としては主治医に聞いた方が早い、と思うこともあります。でも、主治医は患者の教師ではありませんし、患者は主治医の生徒ではありません。治療法の説明はしても、なぜそういう症状が起こるのかを説明する義務は主治医にはありません。よほどのうんちくたれなら別ですけど(ちなみにこのころ私は医学生の家庭教師を雇おうかとまじめに考えました。結局、雇いませんでしたが)。
生理学の本としておすすめは、ガイトン著「臨床生理学」。Tの死後に知りました。購入して、つらつらながめていますが、なかなかおもしろい本です。Tの生前に知っていればよかったなと、ちょっと残念に思いました。
18.「勉強しろ」といわれて、なにを勉強するか
がん患者になると、医師や先輩患者から「もっと勉強してください」とか「他の患者さんはみなさん、よく勉強されていますよ」といわれることがあると思います。でも、なにについて勉強すればいいのかをいってくれる人は、なかなかいません。個人的には「勉強」という言葉もなじみません。「病気」という現状を理解するために調べるのって、勉強、なんでしょうか。
なにはともあれ、「勉強しろ」といわれても、患者自身は入院してしまうと調べる環境はありませんし、家にいても、体がしんどければ本を読むことさえままならないこともあるでしょう。家族にしても仕事や看病のあいまの、ほんとうに少ない時間で調べなくてはならないのですから、あれもこれもと手を広げることは無理です。
なにについて調べるか。意外と大事なテーマじゃないか、と思うのでした。
実際、以下の項目について調べる方が多いようです。
1.がん(細胞)の性質・特徴
2.自分の病期・特徴(5年生存率・予後)
3.治療法(目的・方法・副作用・治療後の生活)
4.名医
5.病院(治療成績)
6.最新の治療法(治験含む)
7.民間療法
個人的には1と2を調べるだけでもいけるかな、と思います。その場合、治療法の選択は、医師からの説明とそれに対する質疑応答のみで行うことになりますが、その質疑応答がうまくいったなら、とくに自分で調べることもないかなと思うわけです。
3は、質疑応答のときに役に立ちます。時間が限られているので、患者側に基礎知識があれば、よりつっこんだ話ができる可能性が高くなります。基礎知識がなければ、とおりいっぺんの説明で納得しなければならなくなるかもしません。
インフォームド・コンセントには、1〜3を調べれば足りるような気がします。
ところが、病名告知から治療選択までのあいだに1〜3を調べなくてはならないから、たいへんなわけです。検査 → 診断・告知 → 治療選択 →
治療開始 という流れの中で、「治療選択」のときには、患者側は納得していなければならないわけですから。
医師ががんを疑って検査が始まると、だいたい1か月以内で診断がつくようです(検査の順番待ちもあって)。調べる時間をかせぐには、この1か月を使うのも手ですが、医者は「がんの疑いがあるから検査しましょう」とはいわないでしょうし、この段階では、患者が家族にもいわない場合があると思います。検査をいい渡されたときに、がんを調べる方向に気がむくかどうか。
結局、1については、健康なときからある程度の知識を入れておくのがいいかもしません。それほどがんは、だれもがなりうる病気になりました。ただ、がんの情報も氾濫ぎみの現在では、がんになる前から自分はがんになって死ぬかもしれない、という不安にかられてしまう人もいるようですので、むずかしいところです。
4〜7について、私は調べなかったのでよくわかりません。
4と7は、客観的なデータはありません。評判を判断材料にすることには疑問を感じるので、「評判を調べる」というのは、ここでいう「調べる」とは、ちょっと違うと思っています。とくに7などで奔走されている話を聞くと、別なところに時間をかけたほうが、と思うケースもありますが、患者や家族が納得できるのであれば、それでもいいのかな、と思うようになりました。
19.おわりに
あるとき、Tと、手術のときの医者の「説明」を英語ではなんというだろうか、という話になったことがあります。私が、explainといったら、Tは「違うな。Briefingだよ」といいました。たしかに医学雑誌では「ブリーフィング」という言葉が使われていました。Tは状況を英語でいうことができる人だったのです。
そのTが、インフォームド・コンセントというのは英語が間違っている、インフォームド・コンセプトだろ、といいはりました。現状は、治療方針(概念)を医師が説明して、患者は同意する。現状はそうだし、それでいいんじゃないかというのがTの主張でした。そこに「納得」はありませんでした。
インフォームド・コンセントに「納得」という要素が色濃くでたのは、インフォームド・コンセントが 「患者の権利である」と、なったときかもしれません。そもそも、インフォームド・コンセントは医者と患者のコミュニケートの問題にすぎないのに、「権利」がからんで、ややこしくなっている。そう感じます。
コミュニケート(Communicate)を辞書でひくと、(情報・意見などを)伝達する、交換する、とあります。人と人が情報・意見交換をするとき、発信者と受信者のレベルが同程度、また、思考フィールドが共有できるほどスムーズにいきます。
医者と患者は、医学知識に雲泥の差があるのがふつうです。フィールドを共有していないので、話が通じないことがあるのです。
今回は、患者側がフィールドを医者に近づけるためのてだてを、思いつくままにまとめてみました。奥の手は、「通訳」をいれることです。セカンドオピニオンだって、半分は通訳業をしているんじゃないかと思うのです。一つの事象に対し、複数の違った言葉があれば、より理解が深まるものだからです。
だれが通訳をするか。プライバシーの問題やらなにやら考えると、いちばんの適任は家族かもしません。
(2002.1〜2004.4)
というわけで、がんばれ〜おおる (^^)/
「これが締めか、締めなのか?」
「 (⌒ ⌒)v 」
「……_| ̄|○ 」
|