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2004/5/19 「最後の7か月」 終了。観戦記は完結しました 江戸時代に、人が死んだあと肉体はどうやって朽ちていくのか。それを観察して絵に残した絵師がいたそうです。この観戦記を書きはじめたとき、私は「がんで死ぬ」というのはどういう死に方なのか知りたいと思いました。その絵師のように、どういう検査をして、どういう治療をして、どういう最期を迎えるのかを残したいと思いました。また、もう一つ書きたかったのが「時間」です。がんを告知されると、即座に「死」をイメージする人はまだまだ多いと思いますが、実際は告知されても、今日明日に死ぬわけではありません。告知と死の間には「時間」があるのです。この二つのおかげで、読んでいて途中で放り投げたくなるものができました。私、天才かも(ここにきてヤケクソの開き直り。おほほほほほ)。 読者のみなさま。最後まで読んでくださってありがとうございました。また、多くのメールをいただき、励ましていただいたこと感謝しています。できたら、ときどきTのことを思いだしてあげてください。「葬式をして、すっぱり忘れられるより、ひっそりと消えて、ときどき思いだしてもらった方がいい」といっていたTでした(というわけで、通夜も葬式もしませんでした)。 さて、いよいよお別れです……ああ、気の利いた言葉が一つも浮かばないや。ごめんなさい。 どうぞみなさま、お元気で。 さようなら。 2004/5/19 「最後の7か月」 更新しました さっそく書きもれを発見したので、「5月7日」をちょっと直しました。この日から、Tは心電図モニターが取りつけられていたので、一言加えました。 さて、T本人の闘病日記は、毎日新聞社のwebサイトで1999年12月より連載が始まりました。2001年1月で終了しましたが、10月に再発がわかると、Tは続編を書きはじめました。Tの死後も日記はサイトに残されましたが、この春、新聞社のweb刷新に伴い、とうとう読めなくなりました。読めなくなったことを惜しむ声も、約2名(うち、1名は元看病人だったりする(^^;))ありましたので、毎日新聞社の了解をいただき、このHPにTの闘病日記を移すことにしました。かんたんに「移す」といいましたが、データを探すのと手で入力しなおすのと、どっちが早いか、いう状況なので、みなさまに読んでいただけるようになるのは夏以降になりそうです。本家も、どうぞよろしくお願いいたします。 2004/5/18 「最後の7か月」 更新しました 病院では、血圧測定と酸素飽和度の測定が1日5,6回行われていました。私は看護師さんに、毎回その値を教えてもらっていました。ところが、最後のほうでE医師が箝口令を引いたらしく(笑)、教えてもらえなくなりました。E医師の心遣いだとは思うのですが、でも、私の気持ちをわかってくれている看護師さんたちも多くいて、箝口令後も、ちゃんと教えてくれる人はいました。E医師の前で泣いたのは、ほんとに失敗だったと思います。そうなることはわかっていましたけど、涙は急にひっこまないものなのです。今ふりかえれば、あのときの涙なんて、たいしたことありませんでした。亡くなってからの涙のほうがずっと悲惨でした。身も世もあらず、心も身もよじって体中で泣いていました。ですから、医療従事者も家族の涙に同情しても、ビビらないでいただきたいと思います(って、むりかなあ)。 2004/5/17 「最後の7か月」 更新しました 病気になる以前、Tは「よく、チームを組んで一つのプロジェクトを行って、終わったときに打ち上げと称して宴会をするだろ? あれは意味がない」と、いいました。そういうときは、まず最初に「宴会」をやるべきなのだ。それでメンバーの心を一つにまとめる。そうすれば、なにか起きたときにみんなで乗りきることができる。だから打ち上げもいいけど、最初に頑張ろう会をするほうが大事なんだよ、といっていました。Tはがんの治療をはじめるにあたって、D医師と私と3人で食事会を計画したようです。Tが、D医師に断られちゃった、とちょっと残念そうにいったので、私はTが闘病を「患者と医師と看病人によるプロジェクト」と考えているのではないかと、その時思いました。最後の診察予約票は、私が病院に行かなかったので、いまでも手元に残っています。Tの名前と主治医の名前があり、それを元看病人がもっている。Tにとっての一大プロジェクトチームの証のような気がしています。 2004/5/15 「最後の7か月」 更新しました 新緑がだんだん濃くなって、この時期特有の、木々の葉からでる独特のにおいをかぐと、頭からシャワーを浴びているような気分になれます。花の香りとはまた違った、深い、いい香りです。どうも私の頭は、Tの最期を書くことに非常に抵抗しているようでして、ここ数日はすっきりしない気分のまま観戦記を書いているのでした。そんな気持ちで書いているためか、文章もこなれていません。書きもらしたことはないかしら。それも心配。それでも、あんまりひどいところは後で手を入れることにして、とりあえず先に進めますね。ああ、緑のシャワーを浴びてリフレッシュしたいなあ。 2004/5/13 「最後の7か月」 更新しました 「負けたけど、楽しかった」。この言葉が闘病のことだと気がつかなかったのは、本文にもあるようにあのころ、だいぶTがゲームの中にいるようなことを言っていたからですが、じつは、私の中で「病気を治す」というのは、病気と闘うことなんだろうか、と思いはじめていたこともあったように思います。自分の中で、いつのまにか「闘病」という言葉が、しっくりこなくなっていました。がんで死ぬ、というのは、がんに負けた、ということなんでしょうか。がんは自分の体の中でおこった突然変異といえるようです。私には、がん細胞はそれまでとは違うシステムを自分の体の中につくりあげようとしているようにも思えるのです。負けず嫌いにもほどがある? 私はTが好きだから、無意識のうちにTを尊いものとして守ろうとして、そう思っているだけなのかもしれないけれど、でも、Tや、Tの治療に関わってくれた医療従事者たちが「がんに負けた」とは、どうしても思えないのです。それは「あんなにがんばったのだから」というのともちょっと違います。 2004/5/12 「最後の7か月」 更新しました 今回、Tが亡くなれば話としては盛りあがるのでしょうけれど、それでは名残惜しいので、もうちょっとねばってみたり(笑) 看護師さんやヘルパーさんは各病棟に大勢いて、ローテーションを組んで24時間、看護にあたってくれています。だから、いろいろな技術力の人がいて当然だし、全員が患者の病状をわかっていなくても、それは無理からぬことです。Tのガーゼ・パジャマの交換が医師の下でしか行われなくなったときから、清拭もそのとき以外行われなくなりました。顔や手、足は出血とは関係ないのですが、毎朝の熱いタオルの配布がなくなりました。私は「家族がついている場合は家族がやれ、ということなんだな」と思って、自分でアツシボ(熱いおしぼり、のことらしい)をつくってTの体で差しさわりのないところを拭いていました。ある朝のことです。部屋をノックする音がするのでドアをあけると、そこには一人のヘルパーさんが立っています。なんだろうと思っていたら、私に2本の熱いタオルをさしだして「これで顔をふいてさしあげてください」と、いってくださったのでした。べったりついている看病人がアツシボづくりからやるのは当然のことと思っていたのに、なぜか胸が熱くなるほど嬉しかったそのことを、私は今でも覚えています。 2004/5/10 「最後の7か月」 更新しました 今回の話は、批判覚悟で書きました。人生の最期は患者に決める権利があるというのは頭でわかっていても、私はすなおに「そうですか」といえませんでした。その後、私はまわりの何人かに「一人になりたくない」といいましたが、とくに独身の方にはわかってもらえなかったようです。「一人暮らしの私はどうする」と、異口同音にいわれてしまいました。「一人になりたくない」というのは「Tを失いたくない」ということですが、それは「依存心」とはすこし違います。私も一人暮らしのよさは知っています。けれども、一緒に暮らしていた人が突然いなくなってしまう、という恐怖にも似た寂しさは、単純に二人暮らしから一人暮らしになるのとも違うのです。なかなか上手に説明することができません。夫は「家族」だからでしょうか。でも、こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、自分の経験からいうと、親が亡くなったときとも違うのです。夫婦というのは、ほんとうに不思議な「人間関係」だと思います。 2004/5/7 「最後の7か月」 更新しました Tによると「熊」というのは昔からそういわれてたらしいです。私は、インターネットの普及に伴い「猫」系のハンドルを持つ人が多くなって、「猫」と名のらなくなりました。「猫」という愛称(?)は、私が猫好きというよりも、ある人から「きみは猫みたいだ」(注・ほめてないっ!)といわれたことが始まりです。まあそんなわけで、このHPのアドレスであるnekokumaは私とTのことです。ちょっとどこかに書き残しておきたかったのでした。いまでも私を「猫さん」とよんでくれる古い友人はいます。けれど、「猫」とやさしく呼び捨てでよんでくれる人は、いなくなってしまいました。 2004/5/6 「最後の7か月」 更新しました ふらっと書店に行って、なにげなく手にして、深い意味もなく買った本がとてもおもしろかったりすると、それはもう人生大もうけ、という気分になれますよね(こういう買い方は書名にだまされることもあるんでけど)。『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重)という新書は、そういう意味で大もうけ気分の本でした。著者は脳神経内科(?)のお医者さんで、サブタイトルが「認識の脳科学」とあるのに、脳自体の話はほとんどありません(それもまた笑ってしまったのですが)、なにがおもしろいって、この本は、インフォームドコンセントの技術論として読むことができるからです。説明する、というのは相手にわかってもらう、ということで、じゃ、人はどうやって「わかる」のかがわかれば、「わからせ方=伝え方」がわかるわけです。この著者がインフォームドコンセント技術論を書いたら、とても説得力のあるものができると思いました。この先生の論文も読んでみたいな。脳の話だから、すごーくむずかしいんだろうな。うふふふ。きっと最後までついていけないと思うけれど、でも、楽しみ。うふふふふ。(私の頭、やっぱりおかしいかも。だれかおかしくないっていってくで〜泣) 2004/5/1 「最後の7か月」 更新しました Tが亡くなって、もうすぐ1年になろうとしています。Tと私は、ふたり、いつも一緒に過ごすことが多かったので、我ながらよく一人で1年もすごせたものだと感心します。もちろん、この観戦記の読者の方や、友人の心遣いのおかげであることはいうまでもありませんが、それでもTが生きていたときには、その人たちの存在に関心を払うことはありませんでした。太陽が沈んで、たくさんの星が見えてくる、そういう印象を持った1年でした。 四十九日の日、たまたま買い物がてら、我が家に遊びに来てくれた友人が、自分のために買っていた小さな観葉植物を一つ置いていってくれました。そこには「トネリコ」と書かれた札が刺さっています。「置いていってくれるのは嬉しいけど、トネリコって、野球のバットをつくる木じゃない?」「しらな〜い」(のんびりとした友人なのです) 私は植物を育てるのは得意ではありませんが、このトネリコは大事にしました。幸いにもこの木は「水は少なめでよい」という性質でしたので(何回か、すっかり忘れていたことも)、だいぶ育ちました。このトネリコを見ていると、1年という「時間」を目でみる思いがします。 それにしてもこのトネリコは元気で、気のせいかどんどん大きくなっているような。バット・・・いけちゃうのかしらん。 |